新しい1年。
先ほど、誕生日を迎え
私、31歳になりました。
平日・夫不在に加えて
転職して新しい環境とライフサイクルにばたばたしていることもあって
拍子抜けするくらい、全くの節目感がありません。
自分より大切なこと、
たとえば娘の誕生日や、家族のイベントのような
そういう時間や、
誰かの喜ぶ顔がみたくて
あれこれすることが増えるにつれて
どんどん自分のことについて馳せる機会は
反比例するように思います。
我が家、というか、私も夫も
誕生日だから特別なコースを食べに行きたい、
あのジュエリーをプレゼントしてほしい、
とか、そういう欲求がなく、
家族みんなで和気あいあいと過ごせたら、それが幸せ!
みたいな
よく言えばプラトニックライクな価値観なので
ほんとうに、普通の平日と同じように迎えてしまいました。
ひょっとしたら
それくらい、今の生活が充実しているということなのかもしれないけれども。
昨年の30歳の誕生日は
半月近く、深夜まで自宅で仕事をしていて、
誕生日を迎えた日も、提案書2つを抱えて朦朧としていた最中、
しかも、明け方なんて通り越して
8時9時くらいまで、提案書をカチカチ書いていました。
さすがにそれまでの疲れもあったり、
30代突入!っていう節目感に対して、
よりによって・・・のような気持ちも交錯していて
提案書を書き終えた後、仮眠をとり、
そのあとはひたすら有馬のリゾートで山からの景色を見続けたり、
月をみながらエステをしたりと、
自分をとにかく休めて、休めて、リセットしよう、
と、山奥に引きこもっていました。
うん、やはり一年前に比べたら、
今は平和、というか、いい具合のストレスと充実度なんだわ。
転職して10日余り、
想像以上に新しくて
縦にも横にも奥にもびゅんっと広がったフィールドで
なかなか自分らしさや
がつんとぐいぐい行くフォームにはなりきれず、
あらためて自分の目指すところは何なのか、
考えることがあるのですが、
その分、たくさんの方から
様々な前向きで現実的な意見をいただけることや
何十年も突き進んでこられた方の姿を間近でみられることを
ありがたく思います。
それだけでも、転職してよかった。
そんな感じで、お仕事の話はここまでで
ベッドで眠る娘の横に並んで
寝顔を見ながら、きゅっきゅしようと思います。
ではでは。
31歳の私、よろしくお願いします。
おやすみなさい。
スタート。
今週から新生活の始まり。
始まる前はたっぷりあるなあ、
なんて思ってた夏休み(有休消化期間)も
いろんな場所やモノ、人との出会いであっという間に終わり
社会人復帰をしました。
入社初日は東京研修。
終わった後、新幹線までのわずかな時間に東京駅でひとり乾杯。
あまりにもおいしいスパークリングのにごり日本酒だったので
夫へおみやげに。(土佐のお酒!笑)
そしたら、夫から
お祝いにワインを買って待ってくれているとのメール。笑
うれしおかしくて、思わず笑ってしまいました。
そんなこんなで
新しい生活が始まることで、
私だけでなく、
家族にとってもたくさんの変化が日々訪れています。
いい方向へ、進みますように。
駆け抜けるように、今週の営業日もあと1日に。
夏が終わる気は全然しませんが、
8月後半=30歳のしめくくり、を精一杯過ごしたいと思います。
ではでは。
みんなにありがとう。
short-trip / Okayama.
瀬戸内へショートトリップ。
今回は岡山、
小さなうみのまちへ。
橋のふもと、
のんびりした瀬戸内の港町や島、
さんかく山を見渡せる、
この窓の景色に出会えただけでも
来てよかったーって思える。
このまま切り取って
持って帰りたいけど
連れて帰れない分、
心も体も、目一杯に満たされる
旅って楽しい!
瀬戸内は出会うモノもだけど、
場所とヒトが
とにかくとても心地よくてステキ。
for what?
なんのための?
技術もやりがいも
ヒトのあとから繋がってるのかなあ。
瀬戸内、ステキな場所だあ。
旅から帰って来て、
この二日間、いろいろあったけれども
ベッドで夫と娘が寄り添いながら眠ってる姿を見ると
ああ、家族がそろって眠れるって
幸せだなあ、よかったな、って思います。
おつかれさま。素敵な旅をありがとう。
また、家族で旅行に行こうね。
「ママのなみだもふきふきするね」
保育園へ出かける娘との話。
今朝、娘は機嫌が悪く
出発前、私が娘の髪をふたつにくくろうとしたら
気に喰わなかったようで、大泣き。
家の玄関を出ても泣いていて、
だっこのサインをして歩こうとしなかったので
仕方なく、娘をだっこしてマンションから園まで
向かうことに。
園の荷物に加え、この暑さ、
娘の涙にだっこ。
しばらく歩いてから、泣いている娘をだっこしたまま
私も「えーん!えーん!」って、泣いたふりを。
そしたら娘はびっくりしたみたいで
(まさかママがなくとは思わなかったみたい、そりゃそうよね)
さらにぼろぼろ涙をこぼしながら大泣き。
私はそこまで娘が泣くとは思わなかった驚きと
大粒の涙の娘が可愛くて、
その場で抱きしめながら
「だっこするのがいやで泣いたんじゃないよ、ごめんね。
だっこするの、ママ大好きだよ」
となだめて、そのあとは手をつないで園まで歩きました。
園に入ってくつを脱いだ後、
「えんえんおしまいね、がんばれるかな」
と、タオルで娘の涙を拭いて
私がタオルをバッグへしまうと
すぐに娘がタオルを手に取って
「ママのなみだもふきふきするね」
って、私の顔を拭いてくれました。
(涙、でてないんだけどね)
髪の毛、くくりたくなかったんだって。
いやだったんだって。
ママが泣いてびっくりしちゃったんだって。
自分がいやな状況でも
そういうやさしさを持てる娘に育っているとは。
子供の性格が三歳までにある程度決まるのであれば
娘は、自分の状況に関わらず
相手に思いやりで接することができる、
やさしい一面を持った子になるんだと思う。
いつまでも
やさしさを持ち続けられますように。
アンパンと観覧車。
夕方から車でびゅんっと
娘・母でハーバーへ!
アンパンマンミュージアム1Fだけでも
じゅうぶん楽しめる♡
ショーでは
アン・カレー・ばいきんと踊ったあと、ハイタッチ!
ちびっこ全員とタッチしてくれるなんて、ステキ♡
ひさしぶりの観覧車、
見えなくなるまで地上で母が手を振ってました。
観覧車、
地上から見上げて
待ってくれている人がいてるから楽しいのかな。
いくつになっても
自分に娘ができても私はずっと母の子供で、
きっと
母が死んだ後も、
観覧車からみた母の姿は
忘れられないんだろうなって、ぼんやり。
観覧車にしたらそんな親子の姿は
ありふれた日常の景色だろうけど、
私は昨日、幸せだったんだと思う。
ふうせんをプレゼントしてもらってご機嫌の娘。
今朝も保育園へ連れて行くって
玄関でふわふわさせてました。
楽しかったね。
また、行こうね。
素敵な時間をありがとう。
思い出。
娘を育ててまだ三年足らず。
なのに
家の中には娘がくれた思い出がいろんなところあって
忘れたり、色あせてしまったりするものもあるのだろうけど
それでもそこにとっておかれたものたちは
どんどん染み込んで離れない、
あどけなさを這わせながら、
蔦のようにあふれていくのだと思う。
他人からしたらガラクタやゴミにしか見えないものであっても
私にとっては宝物へとなっていく。
「どうして
実家はこんなにものがあふれてるんだろう、
なんで捨てられないんだろう」
実家へ帰る度によく思っていたのだけど
思い出と一緒に生きていく、
そういうことなのかもしれない。
自分が大事にしてきたものの欠片が
最後は吸い込まれて
自分の一部になっていくんじゃないか、なんて
ちょっとぞっとしつつも
それが幸せのようにも思ってしまう。
また大きな地震が起きて
娘がくれたプレゼントが一瞬でなくなってしまったら。
また、阪神大震災のときみたいに
壊れた家から拾いだすことになってしまったら。
時々、怖くなる。
ヘリが落ちて、地震が起きて、原発は緊急事態と声明し、
空爆でたくさんの命がまた失われていて、
夫がいない、こんな時だから、思う。
当時、小学生だった私は
なんでそんなものを拾うんだろうって思う私のものまで
母は崩れた家から、必死で取り出していた。
余震が続く中
雨が降るまでの限られた時間で
埋もれた他のたくさんの家財よりも
母がそれを選んだこと、
自分もこうして母親になって
少しわかるようになった。
取り戻せないものばかりだから。
東日本の震災以降、
数えきれないくらい夜中に考えては
はっきりと何も掴めないままで、
また今夜もゆらゆらと耽ってしまう。
あのとき私が離れることができたのは
娘との時間がまだ短くて
引っ越して2週間も経っていなくて
そこに思い出がなかったからなのかもしれない。
今、もし、同じことが起きたとしたら
私は同じ判断ができるのだろうか。
離れることは難しい。
どうか、これ以上悪いことが起きませんように。
笑顔でまた会えますように。
願うことしかできない幾つもの夜に。